くわず嫌い、クラウド嫌い

多くの人が「これからの時代はクラウドだ」と呪文のように唱えていて。
気が付けばスマフォも Windows も Adobe 製品も「データはクラウドに置いておきましょう」から「(クラウドを意識せず)データを置いといてあげましょう」に変わりつつあって。

自分自身はと考えれば、Amazon Prime も Netflix もお世話になってるし、Dropbox も契約して使い倒してる。
gmail には長年お世話になってるし、スプレッドシートも便利だし、GitHub も private 設定しておけば安全なプロジェクト保管庫なのかもしれないなんて思い始めてきた。

どこまでがクラウドで、どこからがそうでないのか。
雲は溶け込み、正体不明な霧のように世界を覆い続けている。

クラウドストレージに保管した情報(の安全性)は「誰でも知ってる」会社なら大丈夫だろう、というなんとなくのイメージで捉えている。
そのイメージは年々強くなり、段々プライベートで、クリティカルなデータを置くようにもなってきてる。
自分がミスするより大会社がミスする確率の方が低いじゃないか。もっともらしい言葉で自分を納得させている。

Microsoft、クラウドサービスの構成ミスで約6万5,000社の機密文書が漏えい

漏えいしたデータには33万5,000以上の電子メール、13万3,000件のプロジェクトファイル、54万8,000人分のユーザー情報が含まれるほか、実行証明(Proof of Execution)ドキュメント、作業指示書(Statement of Work)、請求/注文情報、PoC(概念実証)文書、価格表、顧客資産ドキュメントなど事業詳細と、個人を特定できる情報(Personally Identifiable Information、PII)や知的財産に関する文書も含まれていたとしている。

ほらみろ、やっぱり危ないじゃん!

そう言ってしまう事はたやすい。
でも代わりはあるのか? と問われると、もう僕は印刷された紙も、Faxも、判子もどれも捨て去りたい。
デジタルデータでクラウドな世界に No と言う事はできない。

「お金を預かるよ、手数料はもらうよ」で銀行は巨大になり、「情報を預かるよ、手数料はもらうよ」でクラウドサービスは大きくなった。でも、安全性でいったら銀行に比べるべくもない。

銀行であれば、潰れても多少の損害は国が保証してくれる。クラウドにはない。
たとえ自分より(クラウドサービスが)ミスしなかったとしても、ミスはゼロではないし、自分の知らない間にミスられる可能性がある。
そしてその損害(リスク)は自分が背負うしかない。

だからといって、僕はアナログには戻れない

いちいち USB を差して機器間でデータをコピーしたり、いったいどのファイルが最新かわからないエクセルを管理するような世界には戻りたくない。

リスクはある。でも、そのリスクを飼いならす。
何も知らずに使うのではなく、そう覚悟しておけば、どこまで大丈夫で、どこまで大丈夫ではないか。リスクはコントローラブルな範囲に収まるだろう。

Novel AIの登録方法と使い方を完全解説!イラストを作って遊んでみた

あなたの渾身のイラストがクラウド経由で勝手に Novel AI に学習される事だってある。
そんなバカな、と規約を見直したら「そういう事をされても文句言えない」規約だけど、まぁ普通読んでないし。とりあえず同意だけして、気軽にクラウドに保存してはいないだろうか。

どこまで、どのクラウドであれば自分はリスクを許容できるのか。

少なくとも平文のパスワードとかクラウドに置いておく失態は、家に鍵けてないノーガード状態だ、位の認識は、これから生きる人にとっての新常識でなければならないと思う。

理解できない事はしない。これはインターネット以前からの、重要な教訓だ。

クラウドは神ではない

クラウドは神ではない。
「君は使ってもいい、使わなくてもいい」ユーザーが使うかどうか選択できるべきで、例えば iCloud や OneDrive をユーザーが知らずに使っている……使うことを強制させるような未来は望ましくない。

友人に全てがアナログの人がいる。
本は絶対紙。本の買いすぎでマンションの床が抜けそうだと怯えている。
Netflix も嫌いでビデオに録画しないと落ち着かない(出来れば映画館)。
この時代においてゲームですらゲームセンターで遊ばないとしっくりこないと、高田馬場のミカドに足しげく通っている。

非効率すぎて自分には耐えられない(あ、ミカドは行く)けど、そういう選択肢はあっていい。

それがどういうものか知った上で使うか、使わないか。便利ですよ、使ってないなんて遅れてますよ……そういう言葉に惑わされず、本質は見極めないと。

小学生の頃、ドキドキしながら電車の乗り方を学んだ。クラウドだって、そうして学ぶ必要のあるものだ。

雲(クラウド)は雲であって、空気になってはいけない。ユーザーに自由のないクラウドは空気にはなれない。急に、汚染大気になってしまう危険もあるからだ。

若い子にとっては既に空気と言える存在になってきているけど、学校ではプログラムより、こういう新しいシステムや仕組みについての可能性やリスクを教えてほしいと思う。その知識をただ「先生」と言うだけで求められるのも、大変ではあるのだけれど。

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