「ソフト老害」という言葉の違和感

鈴木オサムさんの記事で「ソフト老害」という言葉を目にしました。

人より少し新しい切り口を見出す……それを生業としてきた方ですし、
今回も言葉の切り口が面白いなーと思っていたのですが(内容はオサムさんの反省が主だった)、

同時期に「マイルド老害」を語る記事をポツポツみるようになりました。
内容は「ソフト老害」と似たようなものですが、書いてあることに違和感を覚えました。

なぜ、違和感を覚えたか、自分なりに思考をまとめてみたいと思います。

老害、老害、老害……

昨今、老害という言葉が使われすぎている気がします。

確かに日本は高齢化が進み、若い人にとっては目に余るお年寄りの言動・行動を目にする機会が多いかもしれません。

それでも、この「老害」という使いやすい言葉のもと、人は人との相互理解を早々に諦めてしまう。
そんな自分の中だけで思考を閉じてしまっている人、いないでしょうか?

今若くて、老害ウゼーといいながら年上の人間を無視し、自分の「若い(と思っている)価値観」で世界を閉じている人は、30年後にはおそらく一番自分がなりたくなかった「老害」になっていることでしょう。

あなたにとって老害と思われる人たちとも対話し、心に寛容を持ち合わせている人が、唯一老害ではない人たちです。

年寄りの言うことなんてわかんねェ、時代が違うんだ。と言い捨て、深く考えない若者の未来は、そのまま若い奴の言うことは全然わからねェ、俺の時代は……にシフトするだけ。
結局若かろうが、歳を取ろうが、自分が正しいとぶつけ合い、マウントし合うだけのカナシイ戦い、それが老害大戦争です。

老害的思考は10代、20代から始まっている

自分が「こうありたい、こうなりたい」という願望や希望は大切です。
でも、忘れがちなのがアナタの周りにいる人たち。
その人たちもアナタと同じように「こうありたい、こうなりたい」と思って生きています。

同じなんです。

どんな産まれだろうが、運動ができようができまいが、金持ってようが、境界知能がどうであろうが、歳がいくつであろうが、これだけは誰だって変わりません。

そして、人はなにかしら人に助けられて生きています。
お金でモノを買ったってそうです。買ったモノはおそらく(買った人が)想像もできないくらい大勢の人が作り上げて、宣伝して、輸送して、改良していった先にある英知の結晶です。

自分が消費者側に立つと文句ばかり、でも生産者側に立つと感謝してほしいというダブルスタンダードになってはいないでしょうか。
人には「して欲しがる」癖に、いざ自分がするとなると生きづらさや国のせいにして逃げてはいないでしょうか。

他が自分に合わせるべきだ。自分は悪くない。
そう思った時が、「老害」のはじまりなのだと思います。

確かに歳を取れば取るほど、考え方は硬直し、新しいことをする勇気も失われていきます。

でも、幾つになろうと日々学ぶ人もいます。反対に、若くして世界が自分の思い通りにならないと憤る「老害思想」を身につけちゃってる人もいるでしょう。

老害10選! そうならないためには……

老害、サイアクですよねー、あなたはこういう事をして老害になっていませんか?

こういう無責任なことだけをマナー教室のように語って、まるでその答えがあるかのように喧伝するメディアも思考が硬直化している、という意味では老害の可能性を感じます。

「どうすればいい」かは、自分と相手によって、無数に取るべき手段があるからです。

例えば、Z世代は何も言わずただ見守り、困った時だけ手をさしのべよう、それが答えだと言う人がいます。

考えてみてください。同じ世代なら、本当に同じこと考えてるんでしょうか?
Z世代と一区切りにしちゃっていいんでしょうか?

腫れ物のように扱われる若者にとって、会社や上司が信頼に足るような人間に見える事はありません。
傷つきやすい人もいれば、傷つけるくらい(のコミュニケーション)を欲する人もいるでしょう。

昨今は呑ミュニケーションも否定されるといいますが、上司が愚痴ったり一方的なハラスメントを強要する呑み会なんて、昭和の頃からみんな嫌でした。

あの頃はただ、「それに耐えてさえいれば、俺の将来はこの会社と共に安泰だ」。そういうメリットが若者にあったから、ギリギリ保っていただけ。

令和の時代でも、若者にメリットのあるような呑み会であれば、否定されることはありません。

呑ミュニケーションをしたいなら、この人の呑み会なら参加してもいいかな、と思われるような上司になればいい。
「今時の若者は……」と言う前に、「今時の年寄り」にもやれることはあるはずです。
(私は今時の年寄りです。がんばります☺)

だんだん論旨がボヤけてきましたが……。

老害という言葉がカジュアル化し、対処法はこうすればいいという一辺倒なマイルドマナー講座を押し付けるような記事が多くなってきたのが、自分にとって一番なんだかなぁ……だったようです。
人付き合いに硬直化したマナーやマニュアルはない。軽い参考程度に留めようね、という。

若者も、年寄りも等しく「害」足りえる

「老害指数」は年代によらない。
自分の考えを人に押し付け、他人の考えを世代のせいだと考える人は、若かろうが年取ってようがみんな「害」足りえます。

自分と考えの違う人を認めて、理解して、それによって自分をアップデートすること。
年齢を問わず、その考えが大事だなぁと。

年寄りにはついていけない若者も、若い人にはついていけない年寄りも、どちらもアウト。
理解できないことこそ、面倒がらず、積極的に足を突っ込むべき。

そうやってお互いがお互いを認め合う社会が、これまでもこれからも必要なんじゃないでしょうか。

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