「親ガチャ」と「人生リセットボタン」の違い

「親ガチャ」という言葉を数年前から聞くようになりました。

ひるがえってみると自分も昔「人生にリセットボタンがあればなぁ…」なんて友達と話していましたし、今を生きる若者であったなら親ガチャという言葉もスッと腑に落ちていた気がします。
資産家の子供のことを「つよくてニューゲーム」なんて言ってましたっけ。

「親ガチャ」「人生リセットボタン」、このどちらも「今、自分が上手くいってないこと」をどうにかしたい、その気持ちを代弁しています。
ですが、本質は少しズレているようにも思ったので、お互いの立場になったつもりで考えてみました。

人生リセットボタン:「自分でなんとかできる」と思うその理由

X世代 (1960 – 1980) の私たちが発していた言葉、ファミコンの影響で産まれた言葉ですね。

「自分でなんとかしよう」、この発想は別に「昔の若者はしっかりしていた」という事ではありません。
(ゲームで言えば)ピコピコいってるだけのインベーダーから解像度が上がり、BGMは進化し、ポリゴンになり…と、絶えず進化していくその過程にワクワクし、自分もなにかできるんじゃないか、そんな勢いに、ただ感化されていた結果だったと思います。

何者でもない自分は、なんか(すごいこと)出来る。

若い頃私はそう思っていました。現実はそう甘くはなく、今は私の中から(すごいこと)がナリを潜めましたが、それでも前向きに生きてこられたのは、時代の空気による部分がとても大きかったと思っています。

親の経済的余裕は人それぞれでしたが、アンテナさえ張っていればチャンスはある。

なんの保証もないのにそう考える X 世代は、現実を知らない若者でもありました。
インターネットなんてないので、自分の把握している世界が狭かったのです。

井の中の蛙大海を知らず されど、空の蒼さを知る

世界が狭かったからこそ、未来への蒼い空だけを見ていたのかもしれません。
平たく言えば、少なくとも今の 20 代にくらべて私は「バカ」でしたが、「バカ」であったからこそ自信をもって生きていたのだと思います。

「親ガチャ」:「自分ではどうしようもない」と思うその理由

Z 世代 (1995 -) は「親ガチャ」と表現しました。

親ガチャという言葉に否定的なのは X 世代、もしくはそれ以前の人たちでしょう。
まあ、自分の事をガチャなんて安っぽい括りで語られたら、親としてのプライドは傷つけられてしまいますよね。

例え若かったとしても「人のせいにするのは卑怯、自分の親もひどかったが、こんな風に大成した」
こんな風に語る人もいるでしょう。曰く「自己責任」として。

たしかにそうかもしれません。
ただ、自分が例えば Z 世代の若者だったとして、「人生は自己責任だ」と思えるほど自分に自信を持てていなかったようにも思います。

産まれた時からインターネットは当たり前で、スマフォ以降進化と呼べるものもない。
もちろん X 世代より格段に便利で豊かです。
人と待ち合わせしたのに会えないことがあるなんて夢にも思わないでしょうし、初めて行く場所も Google があれば迷いません。

でも。

人って「その豊かになるまでの過程」、変化にワクワクする生き物だと思うんですよね。

親が金持ってたから常に三ツ星レストランで食べてた。
こういう子供はそれが「普通」であって、有難いとは思わないでしょう。
これが、ひもじい家庭に生まれて成長し、自分で勝ち取った三ツ星レストランなら、全然感想は違ってくるはずです。

テクノロジーの停滞も同じ事で、最初から便利だったものに有難みは感じないですよね。
例えば 18 歳まで一切ネット禁止、破ったら犯罪なんて世界線であれば、18 になった途端の世界の広がりは感動すべきものになるでしょうが、そんな世界は来ないでしょう。
一旦銃を持ってしまった社会で、銃を手放すことは出来ません。

テクノロジーに限らず、あらゆるものは停滞している。
俺たちにワクワクバフ(バフ=ゲームで言う強化)はないのに、(ワクワクバフがあった時代の)大人は自分の生き方を押し付けてくる。
奨学金なんて名前の借金もして通った大学に意味があったとは思えないが、これも親が行けというのでそうした。
国ははっきりと衰退のステージ、収入は上がらず、税金は年々高くなる。

そしてその事実は、インターネットを覗けばいくらでも調べることが出来てしまう。

Z 世代の蛙は簡単に大海に出れるけど、大海はあまりにも広すぎた。
喰らいつくせない「コンテンツ」に溺れまいと、必死にコスパという(自分の中の)魔物と戦う。
井戸の中の大人蛙はそんな事も知らず、蒼い空の事だけを語る。

無理ゲーだろこれ。
そんな風に思った時「リセットボタン」よりも「親ガチャ」の方がよりスッと入ってくる言葉なのかもしれません。

世代は時代の申し子

全て時代のせいにするつもりはありません。
例えば私は X 世代ですが、大企業もサラリーマンも向いていませんでした。
ただ、なんとなくカッコ悪いと思った。それだけです。理由がひどい。

お陰で初任給8万なんかで就職するわ、その後もずいぶんと買いたたかれてきた人生でしたが、リモートワークを 15 年近く、細々と続けてこられたのは自分に合っていました。
けして主流でも裕福でもありませんが、そもそも物欲がなかったので、問題ありません。
ミニマリストが流行る理由もわかりませんでした。

2005 年でリモートワークはかなり敷居が高かったですね。今の人がうらやましいです。
多くの人との出会いや助けが、私を導いてくれました。
それを「自分の努力」という人もいますが、それだけでは無理だったと思います。

人生には「運」があります。常に「ガチャ」を引き続けているのです。

親ガチャだけで終わらず、延々とガチャを引き続けるのが人生です。
そのガチャの確率をあげるために、時には「努力」も必要でしょう。
努力によってはガチャ確率が 20% アップするものもあるし、0.2% が 0.3% になる程度の努力もあるでしょう。

苦労が多ければ確率がよくなるわけではありません。どの努力が適切か、自己責任ガチャによって自らの方向性を切り開いていく必要もあります。
わからなくなったら他人に聞いてみるのも手ですし、人の影響を受けるのもいいでしょう。

私もガチャの確率をあげたくて、昔は成功者の本を読み漁りました。
9 割がた自分自慢でした。時間を無駄にしました(笑)
でも、いくつかはそうだなと思える事もありました。

「行動しなければ、成功する確率はゼロ」
「10行動して、実るのはせいぜい1つ」
「人とくらべても、しょうがない」

X 世代と Z 世代を比べた時、どちらが正解というものではありません。
「今時の若いやつは…」「これだから老害は…」と対立せず、「その考えはアリだな」とお互いがお互いを認め、高め合えるような関係性がいいですね。

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