可処分所得より、大事なのは可処分「時間」

【年齢別・日本のサラリーマンの平均年収】

全世代平均:5,464,200円
20~24歳:3,329,700円
25~29歳:4,185,300円
30~34歳:4,859,800円
35~39歳:5,456,800円
40~44歳:5,911,100円
45~49歳:6,273,400円
50~54歳:6,719,400円
55~59歳:6,660,700円

厚生労働省『令和3年賃金構造基本統計調査』より算出

20~24なんて収入 200 ちょいだった私も、今ではなんとか平均に手が届く? 収入を得ていますが、今後続く保証もありませんし、平たく言えば毎年震えております。

救いがあるとすれば、私は物欲がほとんどなく、いまでも牛丼は御馳走と感じる安上がりな性格だと言う事です。この資質はSSRカード並みの豊かさを私にもたらしています。

できれば、ステルス値上げより、潰れないようちゃんとした値上げしてほしい

飽くなき(お金を使いたい)欲望カードで戦っている人は、おそらく年収1億あっても、常に周りの「自分より金を使っている人」を追いかけ、幸せになれる事は難しいでしょう。

それでも、人がお金を求める理由

それでも、人がお金を求める理由は、今よりも幸せになりたい、(金銭的に)自由になりたいと願っているからです。

そうして、果たしてお金を得た先に自由はあるんでしょうか?

もし私の年収が 200 で、300 に増えた場合は相当インパクトあると思います。金額にして 1.5 倍ですし、それに見合った豊かさや自由を実感できるかもしれません。

でも年収 500 が 600 万になったとしましょう。同じ +100 万ですが。金額にして 1.2 倍。
幸せの実感としては……私の体感で申し訳ありませんが 1.1 倍にすら届きません。1.05 も怪しいですねー。

結婚していたり、子供がいれば猶更です。増えた 100 万は旅行なり、子供への投資なり、すでに使う予定が組まれている事でしょう。
自分へのお小遣いは 5000 円も増えないかもしれません。

このように、お金は一定以上を超えると自由になるどころか、理想と現実のギャップでかえって不自由を感じてしまいます。

サラリーマンに急激な収入上昇はない

もちろんキーエンスのようなサラリーマンとは思えないような収益、社員の収入をもたらしてくれる会社もありますが、野球選手並に可能性は低いです。

サラリーマンのいい所は「年功序列」、年齢が上がるにしたがって収入が増えることだったのですが、それももはや望めないですよね。
50 歳前後になれば収入が多い=会社の重荷とばかりに、どんどん辞めさせられている現実。
大企業なら多少はまとまった退職金も入りますが、中小にそんな余裕はありません。

中小だと役員以上になったとしても、ほぼ役員手当が望めず、義務だけ増えて息苦しい……。
それが理由というわけではありませんが(理由の1つでした)、私は会社を辞める事にしました。
辞めるといった途端年収が 100 万円あがりました(笑)
それでも辞めましたが……自分のこれまでの働きや拘束時間が「正しく評価」されることなんてないのだな……と虚しくなった覚えがあります。

100 万増えたところで、幸せ偏差値がほとんど上がらないのも、虚しさに拍車をかけました。

とはいえ……今思えば当たり前だったかもしれません。「正しい評価」なんてものは人によって違うのです。
それを人任せにしていた自分に問題があったのだと思います。

本当の自由

サラリーマンに時間の自由はありません。定時に出社、(なぜか)定時すぎてから退社、家に帰ってからもノートPCで仕事。
空き時間はほとんどないなか、そのほとんどを全て「家庭の時間」に全振り。自分の自由時間はほぼゼロに近い。なのに子供は常に不満を訴える。

共働き家庭だとこれは言い過ぎでもなんでもなく、あり触れた家族風景だと思います。

子供を育てることは義務ではなく、権利である。自分が「子供の面倒を見ている」「家事をしている」のが幸せだ、と思える人は貴重なSSRカードを胸に抱いているので、大事にしてください。

出典は知らないのですが、有名な文章があります。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

オタクみたいに早口でまくりたてるMBAwww、と思う人もいれば、2つの文章は同じようで金銭的な余裕が全然違うと思う人もいるでしょう。

金銭的な余裕を鑑みれば後者がベターと考える人も多そうですが、幸せはどうでしょうか?

「あなたはもう、あなただけの体じゃないんですよ」

だからもう車は運転するな、だからもう安いものなんて買うな、だからもう身勝手な(と社員が思う)ことはするな……これが一般的な経営者の立ち位置です。

株を売ったとしても、今度は資産家であるアナタにハイエナが群がり、あなたの自由を束縛します。
貴方が静かに暮らしたいと望んでも、以前の自分に戻ることはできないでしょう。

時々経営者は何もせず遊んでるだけ……なんて会社もありますが、そういう所は例外なく社員が奴隷になっています。

経営者も、サラリーマンも、まともで、真面目であるほど時間も自由もない。
この「不幸せが当たり前」な状況が蔓延し、お互いがお互いの不幸せを自慢し、監視し合う社会……。

その対価として昭和のバブル世代まではうなる程の金を手にしていた。
でももはや、そんな対価はどこにもなくなりました。

どうやって自分の「可処分時間」を増やすか

対価がないなら、原点に立ち返って、自分の「時間」を大事にしてみてはいかがでしょうか。

歳をとるほど、時間の大切さを身に染みる一方、今までの生活を手放すことに臆病になってしまいますが、思い切るのが早ければ早いほど、あなたの貴重な時間はムダにならずにすみます。

どうやって自分の時間から、最低限の仕事や家庭の時間を差し引いた「可処分時間」を増やすか。

なにも考えず手放してしまった自分の時間を取り戻すには、当たり前の一日を過ごすだけでは難しいと思ってください。
たとえ一時的に収入が減ったとしても、自由になる時間を増やす……そんな選択ができるかどうか。

決断にはとても勇気がいりますが、自分のため、本当の幸せがなにかを見失わないでください。
果たして今のまま 5 年後、10 年後、自分が幸せだと言えるかどうか。

私は 45 の時、そうして会社を辞めました。
その後縁にも恵まれ、やりたいことを出来る、活かされている毎日に感謝しています。

勝ち取った自由な時間は自分を高めようと色々手を出していたら、自由と言える時間が全然なくなっていましたが(笑)、それでも自分で決めた、自分のための時間の使い方に不満は感じていません。

子供の頃読んだこの本ですが、知らぬうちに「灰色の男たち」に自分の時間を奪われ、ゆとりがなくなっていく様はまさに現代に突き刺さる内容です。

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