2011年頃でしょうか、ソーシャルゲームの報道はショッキングでした。
G社がN天堂の倒し方知っている、と言ってたり、こんな記事を目にしてしまったり。
後年、G社代表は発言を否定していますが、会社が急激に大きくなり、コンプラの制御も聞かない中、気が大きくなって口を滑らした社員もいたのかもしれない、とは思います。
「暇つぶし」、か…。
「ソーシャルゲーム」については「完全同意!!」と思いますが、私が若かりし頃は、ゲームは攻略対象であって、けして暇つぶしではありませんでした。
ソーシャルゲーム、コンシューマーゲーム、レトロゲーム…。
ゲームクリエイターならその違いをよく知っているかもしれませんが、全てを「ゲーム」としてひとまとめに考えている方もいるかもしれません。
そんな人が「へー、こんな解釈もあるんだ」と知ってもらえると幸いです。
雑な切り取り方ですし、主観もバリバリです。
それでも、一人の人間がこれまでゲームと向き合い、どのようにゲームを感じてきたのか、お伝えできればと思います。
3回に分けてお届けします。
レトロゲーム
一言でいえば、「自由」です。
今ではレトロゲームと言われる、初期はファミコンすらないこの時期のゲームは、とにかく形が定まっていませんでした。
家庭用ゲーム機より、ゲームセンター(ゲーセン)の方が表現力豊かでしたが、容量と解像度も今とは比べ物にならないほど低く、お粗末でした。
また、ゲームパッドのような「定番コントローラ」も存在しなかったので、ゲームをやる度に新しい操作を要求されました。
遊び方は、自分で見つける
また、ゲームはそのプレイ方法について多くを説明しませんでした。
ヘルプのあるゲームなんて、見たことありません。
容量制限、未成熟な市場だった、など理由は色々あると思いますが、それが故にかえってゲーム制作者(クリエイター)の仕込んだ色々なギミックをプレイ中に偶然発見することも多く、大きな楽しみの一つでした。
今では当たり前のようになった「仕様がおかしい」「世界観がおかしい」なんて意見もありません。
クリエイターが自由に、受けるかどうかなんて二の次で色々なゲームを作っていたと思います。
ジャンル分けも、自由すぎて出来ないものが多かった。
プレイヤーは、その都度、その都度新しい遊びに挑戦し、試行錯誤する毎日でした。
遊ぶ形がハッキリしておらず、プレイヤーが「遊びを発見して」いました。
不具合も、それを回避して遊ぶことを見つけ、あるいはそれを利用してプレイを有利にすることもアリアリです。
ゲームセンターで永パ(永久パターン)や無敵を使ったプレイなどは、さすがにとがめられましたが。
攻略方法が調べられない
また、この時代WikipediaやYoutubeなど影も形も存在しないため、自分がプレイしているゲーセンの中が攻略の最先端だったりしました。
狭い世界でしたが、それだけお手本となるプレイがすぐ目の前にあるとは限らないので、プレイヤーは自ら考え、繰り返し、攻略を探していく事が中心でした。
トッププレイヤーと呼ばれる方々の、他ではマネの出来ないスーパープレイぶりは昔も今も際立っていますが、見る機会は「たまたまいたゲーセンに上手い人がいて、プレイしてた」時しかないので、観戦するプレイヤーの人だかりが出来る、なんてこともありましたね。
ゲーセンに集う人々に、妙な連帯感がありました。
私はその頃学生でしたが、今考えると社会人としてやばかったんだろうなと思う人も大勢いて、可愛がってもらったものです。
ファミコンが普及するにしたがって、操作の仕方や、ジャンルの画一化が少しずつ図られていきました。
でもまだまだ、見たこともないようなゲームに出会えるチャンスに恵まれていました。
ゲーセンは家庭用では味わえないような高精細な画面のシューティングゲームが人気でした。
シューティングは「上手くなるほどプレイ時間が長くなる」という構造的な問題を抱えていましたので、ゲーセンとしてはインカムを稼ぎづらかったのではないでしょうか。
その救世主ともいえる「スト2」が降臨、ゲーセンは格闘ゲーム一色になりました。
旧来からのゲーム好きが、イコール対戦好きというわけではなく、この辺りで客層が入れ変わっていきましたね。
次はコンシューマーゲームについてです。
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