「レトロ」「コンシューマー」「ソーシャル」ゲーム(2/3)

コンシューマーゲーム

ここではプレイステーション以降の「映像主体のゲーム」と定義しています。

厳密にはファミコンゲームも「コンシューマーゲーム」ですが、敢えてプレイステーション以降をそのように呼称します。

プレイステーション発売、そして初の 3D 表現となる FF7 発売。

FF6
ドット絵アートの極致
FF7
完全3Dの、新しい世界へ

3Dの表現力

世界が変わった瞬間。
そしてこの頃から、次第に家庭用ゲーム機がゲーセンの表現力に追いつき、場合によっては追い越すようになりました。
UFOキャッチャーやプリクラなどで凌いだ結果、ゲーセンからゲーム機はどんどんなくなっていきました。

表現が 3D になった事も大きいですが、CD の登場で大幅に容量が増え、ゲームはどんどんボリュームを詰め込むことが可能になります。
それに伴って「ゲームルールで差別化」を図るのではなく「映像表現のクオリティを上げる」事が望まれるようになりました。

多くのクリエイターが「映画を見ているようなゲームを作ろう」となっていったのです。
ディレクターを敢えて監督、なんて言うようになったのも、この頃です。
「ゲームを知らない人を敢えて雇っています」なんて話も聞かれるようになりました。

メタルギアソリッド

遊びより、リアル重視

このムーブメントによって、ゲームから「自由な発想」が影を潜めていった気がします。
まず、映像が現実感を増した分、ゲームのルールも現実に近いことが求められてしまいました。

シェンムー
小遣いにリアルさは感じなかった

「現実感」というのは人それぞれです。私は「こんな大人が小遣いとか…」と思って急に萎えてしまいましたが、他の人はそうでもなかったかもしれません。

でも、見たことのあるようなリアルな風景を目にすると、人はどうしても自分基準のリアルを追い求めてしまいます。
この批評を真に受けてしまうと、最大公約数的になってしまい、無難なものになってしまいます。
想定外の面白い遊び、は産まれ辛くなってしまう。

「遊び」というのは定量化できない、感覚です。

作っている本人が絶対面白いと確信しても、それを説得するだけの、数値化したデータを示すことはできません。
「映像」は尺度としてはわかりやすいので、(お金を出す人は)それを好みますし、映像を作りたいクリエイターも増えていきました。

結果、「遊びではなくリアルを作りたい」人に淘汰され、「遊びを作りたい」人はどんどん脇に追いやられていきました。

失敗が許されない開発費

また、製作費が上がるということは「失敗が許されない」という事でもあります。

レトロゲームが年400万で雇用したクリエイター3人で開発したならば、人件費は1年で1200万円
PSの時代はその人数が30人とかになります。1億2000万円
ゼルダの伝説、ブレスオブザワイルドは300人と言ってましたよね…その計算でいけば、たった1年で12億円です。

先ほどのシェンムーは製作費70億円。
その後、海外のオープンワールドブームの火付け役となった…といわれるくらいの重要作品ですが、販売面では大コケしてしまいました。
ドリームキャストと合わせて、負債はいくらになったでしょうか…。
セガガガ、というゲームで壮大な自虐をやった気持ちも、わからないでもありません。

セガの社員として、ゲーム市場争い

けしてお金が全てではありませんが、お金の余裕は心の余裕です。
レトロゲーム時代の方が、開発延期にも寛容でしたし、「面白い」と思えば仕様を変更することも多かったと思います。

今、これを言えるのは限りなく少数

そもそも、ゲームの規模が小さいので開発期間も短かったというのもありますね。

自由な創造にはトライ&エラーが必要です。それにはお金がかかる。下手をすれば会社も傾く。
膨大なクリエイターの仕事を無駄にしてしまう。

その回避として、今までの方法論の焼き直し、他社の売れている路線、キャラIPを使う…といった方向性になるのは必然だったのかもしれません。

次第にルールは固定化されていく

これらの理由から、プレイヤーは「どこかで見たような」安心感のあるゲームをプレイすることになります。
加えてインターネットで無料の攻略情報を知ることができるようになり、少しずつ決められたルートを、お馴染みのルールでなぞっていくというプレイスタイルに変化していきます。

想像のつくルールに従い、映像の強化に伴って物語性が増し、世界観なども語りやすいようになっていきます。
その反面、次第にプレイヤーが自ら考え、攻略する必要はなくなっていきました。

時々ゲーム実況者が「自ら攻略する」スタイルで、プレイに行き詰まっていると「マニュアルよめよ」「Wiki しらべろよ」と視聴者が発言するのは嫌味ではなく、多分本当にそういうプレイスタイルしか知らない人たちの、心からの助言なんだと思うと、少し寂しくも思います。

また、ボリュームが増えることを全てのプレイヤーが望んだか? というと、そうではなかったように思います。

統計を取ったわけでもないので確信は出来ませんが、ゲームをプレイするサイレントマジョリティーにとってはテトリスのような、「単純な操作の繰り返し、その快感」でも十分ゲーム足りえたし、満足できるものだったはずです。
攻略時間が増えて、複雑になっていったゲームが「お手軽」さを失っていった面はマイナス面も多く含んでいると思います。

映像のクオリティはどんどん凄く、派手になっていく。
その華やかさの裏で、ゲームクリエイターは、苦しむ、もがく。
一旦は映像に惹かれたゲームプレイヤーたちも、重厚壮大なソフトの数々に消化不良を起こす。
でも回り出した歯車は止めることを許されない。そんな空気があったように思います。

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